「データの主権」を取り戻し、経営資産にするために——ジヤトコのノーコード導入が生み出したもの


 2023年12月6日、AnityA主催のイベント「なぜ、大企業のノーコード導入にデータとアーキテクチャの観点が必要なのか? ジヤトコの事例で読み解く」が開催された。

 同イベントの前半では、株式会社ジヤトコ(以下、ジヤトコ) デジタルソリューション部 主担 岩男智明氏より、同社が現在推し進める「kintoneを使った市民開発」の取り組みについて、主にガバナンスやデータマネジメントの観点から紹介してもらった。

 この模様は別途「『市民開発』で2000万円のコスト削減も——ノーコード開発成功のために情シス部門がすべきこと」記事で紹介しているので、未読の方はぜひ目を通していただきたい。

 なお、同イベントの後半では、岩男氏のプレゼンテーションを受けて、サイボウズ株式会社(以下、サイボウズ) システムコンサルティング本部ソリューションエンジニアリング部で部長を務める萩澤佑樹氏とAnityA 代表取締役 中野仁氏を交えた3名によるフリーディスカッションと、イベント参加者・視聴者から寄せられた質問に登壇者が答えるQ&Aセッションが行われた。

 本記事では、後半部の内容をダイジェストでお届けする。

左からサイボウズの萩澤佑樹氏、ジヤトコの岩男智明氏、AnityAの中野仁氏

ローコード・ノーコード導入は「データマネジメント」とセットで

中野氏: 先ほどのプレゼンテーションで、ジヤトコさんから市民開発に乗り出した目的や経緯、成果などを一通り紹介していただきましたが、そもそも市民開発のツールとしてkintoneを採用した経緯について教えていただけるでしょうか。

岩男氏: 実はIT部門が採用する以前に、調達部門が2018年に独自に導入していたんです。その担当者から「これは便利だからぜひ全社に広めたい」という相談を受けて調べ始めたのが最初のきっかけでした。

 正直なところ、最初は不安だったのですが、よくよく調べてみるとサードパーティベンダーのエコシステムがしっかり確立されていたり、何よりデータ保全の仕組みが確立されているため、エンタープライズ用途に十分耐えられると判断しました。

中野氏: データのアクセス権限をしっかり管理できたり、アクセス履歴をきちんとログに残せるといった機能は、エンタープライズ用途においては必須ですね。加えてAPI経由できちんとデータを出し入れできる点も、極めて重要です。ローコード・ノーコードツールというと、どうしてもプロセスの自動化という観点が重視されがちですが、やっぱりデータと組み合わせないと価値を生まないと思います。

萩澤氏: やはりローコード・ノーコードツールを導入する際はデータマネジメントのこともきちんと考慮しないと、かつてExcelマクロが無秩序に氾濫してしまったEUCの失敗を再び繰り返すことになりかねませんね。

岩男氏: そうですね。決して業務の自動化がポイントではないんですよね。

中野氏: あと「JavaScript開発の禁止」というルールを定めたのは英断だと思いました。JavaScriptの開発が発生するようなケースは、本来ならきちんとシステム開発でカバーすべきなんですよね。kintone自体はJavaScriptにも対応しているでしょうけど、やはりプログラムを書くとなるとコード管理をはじめとするさまざまな管理が必要になってきますから。

岩男氏: 前職でJavaScriptの開発でかなり苦労した経験もあって、今回はちょっとJavaScriptは避けたいと考えていました。とはいえ、どうしてもJavaScriptで作りたいという声も中にはあったのですが、幸いにもkintoneはサードパーティのベンダーさんから汎用的な部品がかなり提供されていたので、これらをうまく活用すれば自ら開発せずに済むだろうと判断しました。

萩澤氏: kintoneを導入いただいている企業さんの中には、しっかり開発体制を整えてJavaScript開発を行っているところもたくさんありますし、一方でジヤトコさんのように禁止している企業さんもやはりいらっしゃいます。このあたりの方針の違いは、企業ごとの体制やポリシーによるところが大きいですね。

サイロ化してしまったデータとプロセスに横串を刺す

中野氏: 先ほどの岩男さんのプレゼンテーションの中で最も印象的だったのは、今後、市民開発の体制を発展させていって、最終的には業務・部署ごとにサイロ化したシステムを横断的に俯瞰できる仕組み作りを目指しているところですね。

岩男氏:  そうですね。現在はシステムもデータも各部門ごとに分かれてサイロ化されている状態を、まずはkintoneを使ってシステム面から連携させ、さらにデータの観点からも共通基盤を構築することで、最終的にはあらゆる業務を連携させてエンジニアリングチェーンやバリューチェーンがうまくつながるようにするのがゴールです。

中野氏: 特に人事や総務といったバックオフィス系の業務は、本来はデータもプロセスも部門横断的につながってこそうまく機能するはずなんですが、実際には業務ごとにデータもプロセスも最適化されてサイロ化の状態に陥っているのが実態ですね。

 こうした状態を打破するために、各業務ごとにサイロ化しているシステムの間をなめらかにつないでいく役割がローコード・ノーコードツールには求められているのではないでしょうか。

萩澤氏: おっしゃる通りだと思います。これまでは業務ごとに個別に導入したシステムの間を、Excelやメールなどで何とかつないでいたのが多くの企業の実態だと思います。その部分をkintoneのようなローコード・ノーコードツールでうまくつなげられればうまく横串を刺せるようになりますし、実際にそのような用途で使われているケースは多いですね。

中野氏: そういう“つなぎ”のために作られたExcelシートが社内に氾濫して管理しきれていないために、重要なデータのクオリティが知らず知らずのうちに低下してしまっているケースはとても多いと思います。

 それにデータは貯めているだけでは何の価値もなくて、最終的には適切な形に加工・可視化されて意思決定の判断材料にならなければ価値を生みません。そういう意味では、kintoneのようにレポーティングの機能を備えたローコード・ノーコードツールを活用する意義は大きいと思います。

岩男氏: 弊社でもkintoneにはそのような“つなぎ”の役割を期待していますが、それだけではなく、共通データ基盤の機能の一部として利用することがそもそもの目的でした。共通データ基盤に価値の高いデータを集めるためのフロントエンドの機能を開発する上で、kintoneのようなローコード・ノーコードツールが有効でなはいかと考えたのです。

社内を同じ方向に向かせるための「大義名分」が重要

中野氏: ローコード・ノーコードツールを使えば、従来のような外注ベースの重厚長大なシステム開発プロジェクトより、はるかに低コスト・短期間でシステムを構築できます。

 しかし中小企業ならいざ知らず、ジヤトコさんのような大企業でローコード・ノーコードツールを使った市民開発を軌道に乗せるためには、先ほど岩男さんに紹介していただいたようにきちんと時間をかけてルールを定めたり人材を育成する必要があります。他の大企業の事例を見ても概ね3年から5年はかかるようですが、最も苦労されたのはどのあたりでしたか?

岩男氏: やはり当初のスモールスタートから適用範囲を広げる段階に進む際には、経営層から「その投資は具体的にどれだけの価値を生むのか?」と説明を求められましたね。

 そのためにさまざな事例を示して理解を得るのには多少苦労したかもしれません。またkintoneを使った市民開発の体制を全社レベルに適用すると宣言した際には、既に他のツールを導入していた部門からはやはり不満の声が上がりました。

中野氏: ローコード・ノーコードツールは部門の予算で手軽に導入できるので、「うちが使っているツールの方がいいじゃないか!」という不満の声はどうしても上がりますね。

岩男氏: ただ弊社の場合は先ほども説明した通り、kintoneを使った市民開発は全社データ基盤の整備計画の一環と位置付けていましたから、そういう本来の大きな目的を根気よく説明することで、何とか納得してもらえました。

 このあたりの社内プロモーションにはかなり力を入れましたね。日本型の組織は往々にしてセクショナリズムに陥りがちですが、でもひとたび個々人が同じ志を共有できると一丸となってすごい力を発揮するんですよね。

中野氏: 日本型組織には明らかにそういう傾向がありますね。特に人材の流動性が低くて、同一性が強い大企業ではなおさらです。従ってそういう組織を相手に何か新たなことを提案する際には、その組織が持つ歴史や風土、文化についての理解は不可欠だと思います。

「データの主権」をベンダーやサービサーに明け渡さないために

岩男氏: 加えて現代の企業経営において、データは人・モノ・金に並ぶ「第四の経営資産」と呼ばれているぐらいですから、やはりデータを軸にしたビジネスアーキテクチャを考えていくことが極めて重要だと考えています。その際に重要なキーワードになるのが、中野さんがよく提唱されている「データの主権を取り戻す」ということですね。

中野氏: 岩男さんが先ほどのプレゼンテーションで言及していたように、データは会社にとって重要な資産なのに、これを簡単にベンダーやサービサーの手に渡してしまっているケースが多くて本当に驚きます。

 APIを使ってデータを取り出せないパッケージやSaaSアプリケーションにデータを預けるのは、回収の見込みのない融資を行うようなもので、個人的にはもはや背任行為に近いのではないかと考えています。

 一度そうやってデータの主権を握られてしまうと、完全にベンダーロックインの状態の陥ってしまって、それ以降、他のアプリケーションやサービスに乗り換えづらくなってしまうのが最大の問題です。

岩男氏: そうですね。弊社でもkintoneを導入・運用する際にさまざまな運用ルールを定めてきたのですが、その最後の項目として「サービスの利用をやめる際の手順」を定めました。具体的にはそのサービスの利用をやめる際にどのようにデータを抜き出して、いかに安全にそのサービスから抜けてビジネスを継続させるかという点をしっかり定めています。

 もちろんkintoneを末永く利用していきたいと考えていますが、やはりデータの主権を手元に置いておくためのルールをあらかじめ定めておくことはとても重要だと思います。

中野氏: エンタープライズ用途で利用する際には、そのような視点は欠かせませんね。あらかじめ利用をやめることを考慮に入れておくといっても、決してそのサービスが「悪い」「劣っている」と言っているわけではなくて、サービス提供側は長く利用され続けるために価値を提供し続ければいいだけの話なんですよね。

市民開発の成果をブラックボックス化させないための工夫

中野氏: 視聴者の方々から質問が寄せられているので、幾つかピックアップしてお答えしていきたいと思います。「たとえノーコードであっても引き継ぎの際には技術仕様書(I/Oなどの情報を含む)など最低限のドキュメントが必要になると思います。この辺はどう考えますか? また、エンドユーザーにも仕様書を残すように指導してますか?」という質問をいただいています。

岩男氏: 仕様書はきちんと残すように指導しています。具体的には、ただアプリケーションを開発しただけの段階ではそれはあくまでも「トライアル」扱いで、本格利用するためには別途「本運用の申請」の手続きを行ってもらいます。そしてその際にアプリケーションの仕様やセキュリティレベル、公開範囲といった各種情報を提出してもらいます。

萩澤氏: この方法は通称「ジヤトコモデル」と呼ばれていて、kintoneのエンタープライズユーザー界隈ではかなり有名ですね。

中野氏: 次は「市民開発は、コードを書ける必要はないかもしれませんが、ITのセンスは必要になると思います。一般社員で対応するとき適正チェックなどはしましたか? 面倒だからと部門のイケてない暇な人がアサインされてきたりしませんでしたか? その場合はIT担当者変更を指示しますか?」という質問です。

岩男氏: IT部門側では敢えて適正チェックなどは行っていません。その代わり、市民開発の人材を提供する各部門側で、人材からアプリケーションの品質に至るまですべての責任を負ってもらっています。そのための監査の仕組みなども各部門に持ってもらって、「自分たちの組織の価値を維持するためには、適切な人材を提供しないとダメだよね」という意識付けを行っています。

中野氏: 人材関連でもう1つ、「市民開発人材の人事評価基準も追加しましたか?」という質問も寄せられています。

岩男氏: これはとても大事な観点だと思っています。市民開発の活動も3年目に入ってようやく成果が出てきたので、これから人事評価への反映にも着手しようと考えているところです。

社内人材を育成するために「優しく手ほどき」する必要はない

中野氏: 「『データリテラシーを上げる』と言っても、実際にはなかなか上がらないと思ってます。私の場合は『血を見て覚えろ!』的にスパルタでやってますが、ジヤトコさんではどのようにしてデータのリテラシーを上げていますか? 優しく手ほどきしてますか?」という質問も来ています。

岩男氏: 優しく手ほどきはしないですね。かといってことさら厳しくしているわけでもないんですが、「最終的には自分で理解しようとしないと何も変わらないよね」ということは暗に伝えています。

 例えば何も考えずに1クリックだけで定型データを取り出せるお手軽ツールを提供するぐらいなら、極端な話SQLが書けていろんな角度でデータを分析できるリテラシーを身に付けてもらいたいと考えています。その辺りで優しく手ほどきするためのコストは掛ける必要はないと思っています。

中野氏: そこで社内の人間に対して過度なおもてなしをする必要はまったくないですよね。せいぜいやるとしても、お互いにノウハウを共有できる場を用意してあげるぐらいでしょうか。

岩男氏: それはまさにやっています。市民開発者同士がノウハウを共有したり、ともに勉強できる仲間を作れるコミュニティを作って、社内で運営しています。

中野氏: 「アプリケーションを開発する前にマスタデータの全体設計を行いましたか? それともアプリケーションを作りながら必要なマスタデータを適宜整備していったのでしょうか?」という質問もいただいています。要は「MDM(マスタデータ・マネジメント)をどうしたのか」という質問ですね。

岩男氏: MDMは確かに極めて重要で、必ずやらなければいけない領域なのですが、現段階ではまだ攻め切れていないというのが正直なところです。来年度には重点的に取り組むことになると思います。

中野氏: 確かに、まだ何も成果が出ていない段階でいきなりMDMのための膨大な予算を申請しても、恐らく経営はなかなか納得してくれないですよね。であれば、まずはスモールスタートで始めて、成果を上げてからMDMに着手するという順番も十分あり得ると思います。

萩澤氏: kintoneのユーザー会でも、マスタの整備はよく話題に上がります。例えばマスタデータへのアクセスを仲介する「マスタ用アプリ」をまずは用意しておくことで、ひとまずはマスタの利用状況を可視化するというアプローチをとるお客さまもいらっしゃいますね。

執筆

吉村哲樹記事一覧

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。その後、外資系ソフトウェアベンダーでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。

イベント企画

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ITmediaエンタープライズの担当編集長を経て独立。現在はエンタープライズITの変革者に伴走するメディア「Darsana」の編集長として、変革者へのインタビュー、イベント企画、コミュニティ運営を手掛けている。ITとビジネスをつなぐ役割を担っているCIO、IT部門長へのインタビュー多数。モットーは、「変化の時代に正しい選択をするのに役立つ情報を発信すること」

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