「アンコンシャスバイアス」を知る研修が、社内の空気を変えていく──味の素の小池氏に聞く、ダイバーシティを「自分ごと」にする方法


※本記事は、DX時代にあった新しい企業システムのあり方を考えるコミュニティ「BJCC(Box Japan Cloud Connections)」のコラムとして2020年12月25日に掲載された記事を転載したものです。

 コロナ禍によって、“半ば強制的な形で”日本企業の働き方が変わった2020年──。この1年に起こった大きな変化は、企業に何をもたらすのでしょうか。

 BJCCのインタビューに登場したビジネスインサイダージャパン統括編集長の浜田敬子氏は、この変化が「変わる理由を見出せなかった人たちが支配するモノカルチャーの世界」を、「さまざまな価値観を持つ人たちが混ざり合って新たな価値を生み出していく世界」に変えるきっかけになる──という見方を示しています。

 こうした「多様性を認めるフラットな文化」を根付かせようと、コロナ禍以前から取り組みを続けてきた企業が、食品大手の味の素です。

 味の素は、今から12年前の2008年に策定した「味の素グループWLB(ワークライフバランス)ビジョン」を経営戦略として位置づけ、働き方改革を推進していることで知られています。この取り組みを通じて“誰もが活躍できる土壌”を整え、2017年にはダイバーシティ推進のタスクフォースを設置。「性別や年齢、経歴にかかわらず、能力がある人を適切なポジションに登用する」というダイバーシティの取り組みをスタートさせました。

 「ダイバーシティ=女性活躍」と捉えがちな企業が多い中、なぜ、味の素はより広い意味でのダイバーシティの取り組みを始めたのか、この広義をベースとする考え方は、社内にどのような変化をもたらしたのか、また、新たな文化を根付かせるために、どんな工夫をしているのか──。

 この取り組みが始まった2017年に味の素に入社し、ダイバーシティ施策を担当してきた同社人事部 人財開発グループのマネージャー、小池愛美さんにお聞きしました。

【小池愛美氏プロフィール】外資系小売業での財務会計職、外資系コンサルティング会社でのコンサルタント職を経て、家族の介護を機に2008年に日系化粧品会社へ。CSR部門を立ち上げ、社会貢献活動、女性の就労継続支援等を担当。在職中に社会人大学院にてPPPを専攻し、女性活躍や多様性について研究。2017年7月、ダイバーシティ推進タスクフォースの設置に伴い、味の素株式会社に入社。現在はD&I推進担当マネージャーを務める。

「ダイバーシティ」=「女性活躍」ではない

── 味の素は、かなり早い時期から「女性活躍だけにとどまらないダイバーシティ」の取り組みを推進しています。そもそもダイバーシティをどのように定義しているのでしょうか。

小池愛美: 味の素ではダイバーシティについて、「人を性別・年齢・国籍・経験などで判断することなく、全社員一人ひとりが互いを尊重しあって活躍できる“働きやすい会社”を目指す取り組み」と位置づけています。

 味の素がダイバーシティを推進する目的は、性別や経歴、その人の属性にかかわらず、「能力のある人が登用される環境を整備、構築すること」です。個人の属性にとらわれず、すべての従業員が公平に働ける「機会」を得て、自身の選択で自分のキャリアを形成できること──。それが実現できる環境を会社側がつくり、従業員と会社がともに成長していくことを目指しています。

── 働き方改革や女性活躍推進の必要性が指摘されている中、「ダイバーシティ=女性活躍」と捉える人や企業も少なくありません。

小池愛美: その通りです。ダイバーシティと聞くと、「女性活躍」や「外国籍雇用」を連想する人が多いと思います。実際、多くの企業ではダイバーシティに対する新たな取り組みとして、女性管理職比率や外国人雇用率、障害者雇用率といった具体的な数値目標を掲げ、それを達成することを目指しています。

 味の素でも、過去3年間の取り組みを経て、やはり女性の登用が他の取り組みと比べて追い付いていないことから、2030年までの女性の取締役とライン長の比率について目標を定めています。

 しかし、ダイバーシティの本質は、多様なバックグラウンドや異なる視点を持った従業員が自身の能力を発揮し、仕事を通じて新たな価値を創造することなので、特定の属性の人のみを対象にしたり、数値目標に対する進捗だけを見たりしていると、本質を見誤る可能性があります。

── コロナ禍で、既存の働き方や仕事の進め方が急速に変化しました。多くの企業は従業員の勤務形態を見直しています。こうした潮流は、ダイバーシティの取り組みにどのような影響を与えると思いますか。

小池愛美: 味の素ではコロナ禍以前から「働き方改革」に着手していましたが、他の企業もコロナ禍で既存の働き方を見直す動きが一気に加速する部分はあるでしょう。例えば、リモートワークや時短労働など、これまでであれば、導入に時間がかかっていたような制度も、必要に迫られて実施している状況です。こうした潮流はダイバーシティの推進に追い風になると考えます。

海外帰りの社長がトップダウンで改革を断行

── 味の素がダイバーシティに取り組みはじめたきっかけは何だったのでしょうか。

小池愛美: 味の素では「ASV(Ajinomoto Group Shared Value)」という企業理念(Our Philosophy)を掲げています。これは「味の素が事業を通じて社会課題の解決に取り組み、社会・地域と共有する価値を創造することで経済価値を向上し、成長につなげる」という取り組みです。ですから、ダイバーシティの推進は、ASVを体現するための活動の1つでもあります。

 味の素がダイバーシティの取り組みを始めたのは2008年ごろです。当時は、「ワーク・ライフ・バランス」が注目されており、当初は「時間的制約のある女性社員に対して働きやすい環境を整備する」ことを目的にしていました。

 その後、2008年に労使共同で「ダイバーシティ&ワーク・ライフ・バランス(WLB)向上プロジェクト」を立ち上げ、従業員の相互理解や、働く環境・働き方の見直しを進めてきました。続く2012年には職場主体によるWLB向上の取り組みを開始し、2015年には「ダイバーシティ&WLBコンセプト」を策定しました。

── こうした取り組みは経営層のリーダーシップがないと難しいですよね。

小池愛美: そうですね。ダイバーシティの取り組みに一層ドライブがかかったのは、2015年に現在の社長である西井孝明がトップに就任したことが大きく影響しています。

 西井はブラジル法人の社長を務めていた経験があります。ブラジル法人は生産性が高く、性別を問わず活躍する環境が整っていたそうですが、翻って当時の日本法人は長時間労働が当たり前で、女性の管理職比率もグローバルの味の素グループの中では低い状況でした。

── 具体的にはどのような施策に取り組んだのですか。

小池愛美: 2017年4月に働き方改革の一環として所定労働時間を7時間35分から7時間15分へと20分短縮し、始終業時刻を「8時45分〜17時20分」から「8時15分〜16時30分」へと前倒ししました。同時に、従業員の主体的な働き方を支えるため、時間と場所の柔軟性を高めた「コアタイムなしフレックス」「最大週4日までのテレワーク(どこでもオフィス)」をスタートしました。

 ここで重要なのは、味の素の働き方改革は、「(育休中、介護中といった)働く時間に制限のある人に対して施策を講じる」のではなく、「すべての社員一人ひとりが働きがいを持って自律的に働くことができ、その結果、生産性を高くすること」を目指したものであるということです。そういう意味では、会社が先に活躍できる環境を整え、ダイバーシティ文化醸成の基礎を作ってくれたと言えるかもしれません。

── 小池さんが味の素に入社したのは2017年ですよね。中途採用を積極的に始めたのもダイバーシティの取り組みの一環なのでしょうか。

小池愛美: 私が採用された時期には「多様性を具現化する一環として、外の人材を入れたい」という意図はあったと思います。

── 入社して「これまでの会社とは違う」と感じた部分はありますか。

小池愛美: 最初は、「味の素の独自文化」を理解するのに時間がかかりました。

 私は味の素に入社するまで、長らく外資系企業に務めていました。外資系の雇用は、特定の職務をまっとうするために雇われる「ジョブ型」です。ですから、自身のキャリア形成を考えて転職をすることは日常茶飯事ですし、長く務めただけでポジションやお給料が上がることはありません。

 一方、味の素には勤続年数が20年以上の従業員がたくさんいます。男女を問わず離職率が平均1.6%と低いことからも分かる通り、会社に誇りを持って働く従業員が多い。もちろん、職場の雰囲気もとても良いと感じます。しかし、それゆえに業務プロセスや仕事の分担などに「阿吽の呼吸」が見受けられました。

 例えば、以前の採用形態で地域限定採用だった方は、「昔からそう(いう役割)だったから」という理由で、新しいチャレンジをしたり意見を言ったりしづらいような空気も少なからずありました。

── これまでのやり方を踏襲し、滞りなく業務を進めていくことが第一だったのですね。

小池愛美: そうですね。しかし、グローバル化が進んでいる今、成長を実現するためには、これまでのやり方に固執してはいられません。特に日本では少子高齢化による労働人財の不足や、介護離職などで、企業が人財を確保することが難しくなっています。そうした状況では、さまざまな人財が柔軟に働いて自律的に成長できるよう、多様性(ダイバーシティ)を受容する環境の構築と制度設定をする必要があったのです。

「アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)」を取り払うには

── 味の素では2018年8月から「アンコンシャスバイアス研修」を実施していると伺いました。その狙いは何ですか。

小池愛美: アンコンシャスバイアスとは、無意識に持ってしまう偏見(味の素では“思い込み”と言い換えている)を指します。例えば味の素の場合、社内の会話で「うちの会社らしい」という枕詞がつくことが非常に多い。しかし、それは企業理念である「ASVを実現するもの」という意味ではなく「味の素の独自文化に則っている」という意味で使われていることもあります。つまり、「無意識のうちに、個人の持つ思い込みを基準にして判断している」可能性があるのです。

 これでは改革の提案をしたとしても、「うちの会社らしくない」という根拠のない理由で受け入れられなくなることもある。こうした考え方は、「多様性」を受容する組織風土づくりや、自由で闊達な議論をするうえでも、大きな弊害になり得ます。

── 「女性ならではの視点」や「日本人らしい」といった考え方も、アンコンシャスバイアスですよね。

小池愛美: 個人の能力やスキルではなく、性別や年齢、役職といった属性で相手を判断してしまうのがアンコンシャスバイアスの1つです。ただ、こうしたバイアスは非常に分かりやすいのですが、やっかいなのが「相手のためを思う(と思っている)がゆえ」のバイアスです。

── どういうことでしょう。

小池愛美: 例えば、出張する社員をアサインする際、もし、最適な人が子育て中の女性だったら、上司は頼むのを躊躇しがちですよね。それは一見、子育て中の女性のライフバランスに配慮しているように見えますが、実は仕事のチャンスを奪うことにもなります。つまり公平性を欠く判断になってしまっているのです。

 アンコンシャスバイアス研修では、「日常にある偏見」を知り、考えることからはじめます。例えばさきの出張のケースでは「あなたに出張してもらいたい。ただし、(ライフバランスで)支障になることがあれば相談してください」と伝えればよいのです。そして、出張するかどうかの判断は本人に委ね、相談があれば一緒に解決策を考える。研修でこうした説明をすると、「なるほど」と気付いてもらえます。

 こうした「気づき」を積み重ねていくことで、少しずつバイアスのない組織へと変わっていけると思います。とはいえ、先回りして配慮することが「気が利く」と言われる日本の会社では、こうした意識変革は難しい。これは3年間続けて実感したことです(笑)

── アンコンシャスバイアス研修は全従業員が受けるのですか。

小池愛美: 全員受講に向けてチームのメンバーと取り組んでいます。最初に行った2018年3月の講習は経営層のみでした。まずはトップに「アンコンシャスバイアスとはどのようなものか」を理解してもらい、そこから人事部に広げていきました。全従業員に受けてもらう予定なのですが、現在はコロナ禍もあり、集合研修の実施が難しいことから、eラーニングで受講してもらっています。

── 経営層の反応はいかがでしたか。

小池愛美: 上々です(笑)。研修には外部から専門講師を招き、グローバルでの事例を交え、アンコンシャスバイアスが経営に与えるマイナスインパクトを語っていただくとともに、役員同士でのディスカッションも行ったところ、予想以上に闊達な意見交換がなされました。

 研修後、参加した役員に、アンコンシャスバイアス研修の感想やダイバーシティの取り組みの重要性をカメラの前で語ってもらい、その動画を社内のイントラネットに公開しました。動画撮影は台本なしのフリーコメントだったのですが、多くの従業員から共感を得ることができました。

 一方、受講した管理職からは研修後に「自分の言動にアンコンシャスバイアスがあったことに気づいていなかった」「自分は気の利く上司だと思っていたが、無意識のうちに機会を提供できていなかったかもしれないことを理解した」というフィードバックが多く寄せられました。

 アンコンシャスバイアスをなくす方法の1つは「主語を個人にすること」です。性別も年齢も役職も取り払って、「相手を1人の個人として見る」意識を持ち、コミュニケーションすることが大切だと思います。

「チェンジ」ではなく「アドオン」で──変革を受け入れてもらうための工夫

── ダイバーシティやアンコンシャスバイアスの取り組みを、どのように社内に浸透させているのでしょうか。

小池愛美: 「従業員の意識を変える」「会社の文化を変革する」と大上段に構えてしまうと、現場は戸惑い、拒絶反応を示す人も出てきます。「ダイバーシティ」と聞いただけで「はいはい、女性活躍対策ね」と、“心のシャッター”を下ろしてしまう人も少なくありません。

 ですからゴールは低く設定し、まずは研修を受けて、アンコンシャスバイアスを「知り、考えた」後に、自身や組織に課題があることを知ってもらうことからはじめています。そして、この課題解決は、既存の環境を「チェンジ」するのではなく、良いものは残し、状況に合った“新しい考え方”を「アドオン」するものであり、それによって従業員全員が働きやすい職場環境にしましょう──というアプローチをとっています。

── 研修の具体的な成果はありましたか。

小池愛美: たとえば、2017年にLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー)の理解を深めるトレーニングを実施した際、一部のメンバーから「うちの会社には当事者がいない(から必要ない)」という声が上がりました。しかし、最近の日本におけるLGBT層の割合は約10人に1人と言われていますから、当事者がいないことはありえません。

 研修でLGBTの当事者を招いてお話を伺ったところ、研修後には(参加者が)とても深く考えてくれました。「LGBT当事者を傷つけないようにするためのハウツー本がほしい」という要望もあがったくらいです。

 こうした研修は、予想以上に大きな反響があります。今年も実施した社内オンラインのランチタイムセミナーには約200人が参加し、9割の参加者が満足、残り1割の参加者は「時間が足りなかった(から改善の余地あり)」という反響でした。自由記述欄にも多くの感想が書かれており、ネガティブな内容は一つもありませんでした。

── ダイバーシティに取り組む中で、ITが役立つシーンはありましたか?

小池愛美: コミュニケーションやコラボレーションをする中で、ITツールは欠かせません。コロナ禍でもプロジェクトを止めなくて済んだのは、容量制限なしのファイルストレージやチャット・オンライン会議ができるコミュニケーションツールをはじめとしたクラウド環境が整っていたことも大きいと思います。先に紹介したeラーニングツールは社内動画共有でも活用しています。

 さらに興味深いのは、こうしたツールを使うことで、役職の壁を越えたコミュニケーションが活発になっていることです。当初、一般の従業員には役員が投稿したコメントに「いいね」を付けることにためらいがあったようです。しかし、役員側は自分の投稿に反応があったことがうれしいと(笑)話していて、これは非常によい変化だと思いました。1年も経たないうちに、今では当たり前の光景となりました。

 もう1つは、音声をテキストに変換する「UDトーク」の活用です。主に聴覚障害者とのコミュニケーションを支援するツールなのですが、在宅勤務時の音を出しにくい環境で役立っています。

 従来の物理的な社内セミナーだと聴覚障害者の方の参加が難しい場合もありますが、ITに載せてしまえば、テキストで発言内容を認識できるので、理解も深まります。このツールは聴覚障害者の方から、コミュニケーション時の理解度改善という点で大きな反響を得ており、現在は人事部が社内標準ツールとして整えました。

 社員一人ひとりがダイバーシティを自分ごととして意識するのと同じように、ITツールも自分ごととして使うことで、このコロナ禍でもあらゆる従業員が多様な働き方や新しいワークプレイスを個々人で見つけられると思います。

あせらず、着実に「新しい文化」を浸透させるために

── 年齢や性別、役職などのバイアスを取り払って「社員一人ひとりを尊重する」というダイバーシティの文化を浸透させるために、今後、どのような取り組みを考えていますか。

小池愛美: アンコンシャスバイアスの研修を実施したことで、予想していなかったさまざまなバイアスがあることも分かってきました。研修後のアンケートを見ると、年齢や性別以外にも、外勤と内勤、本社と支社、所属部署(職種)など、実にさまざまなバイアスがありました。チームメンバーとそのバイアスが発生する背景を理解し、どのような解消方法があるのかを考えることが大事だと思っています。

 あとは、成果を焦らず、時間をかけてじっくり取り組むことも重要だと考えています。

 いろいろな施策を重ねていると、つい、短期的な「見える成果」を求めてしまいがちですが、新たな組織文化を作っていくには、やはり時間がかかります。そこは拙速に動かず、アンコンシャスバイアスのアンケートに答えてくれた一人ひとりの思いに寄り添い、研修後の社内の変化を見ながら、次にすべきことをじっくり考えていきたいです。

 味の素は創業110年超という歴史ある企業で、これまでたくさんのすばらしい社風を培ってきました。その「幹」の部分である「人を大切にすること」は変えずに、味の素のよさを生かした次のステップを考え、実践していくことが、会社の成長につながると信じています。

執筆

鈴木恭子記事一覧

週刊誌記者などを経て、2001年IDGジャパンに入社しWindows Server World、Computerworldを担当。2013年6月にITジャーナリストとして独立した。主な専門分野はIoTとセキュリティ。当面の目標はOWSイベントで泳ぐこと。

取材・企画・構成・編集

後藤祥子記事一覧

ITmediaエンタープライズの担当編集長を経て独立。現在はエンタープライズITの変革者に伴走するメディア「Darsana」の編集長として、変革者へのインタビュー、イベント企画、コミュニティ運営を手掛けている。ITとビジネスをつなぐ役割を担っているCIO、IT部門長へのインタビュー多数。モットーは、「変化の時代に正しい選択をするのに役立つ情報を発信すること」

クレジット

取材:三原茂・辻村孝嗣 撮影:永山昌克

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