※本記事は、市谷聡啓氏の著書「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー 組織のデジタル化から、分断を乗り越えて組織変革にたどりつくまで」(翔泳社刊)の一部を編集し、転載しています。
この国にとってのDXの意味
「DXとは、本当のところ何を意味するのか?」
実に難しい問いです。DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉に込める意図は企業、人によってさまざまです。この問いに向き合う立場によって違ってきます。日常業務におけるデジタルツール、技術の活用によって効率化を進めることであったり、新たなビジネスモデルを構想し事業を生み出していく場合もあります。そうした取り組みが同時に行われることも、あるいは移り変わっていくこともあります。
捉え方によって目指すところは異なり、取り組みようも変わっていくことになる──ですから「本当のところ」と問いに加えています。私たちは“DX”を通じてどこへ向かいたいのか、その回答自体が取り組む過程において変わっていく可能性があるということです。それはさながら、おぼろげに捉えている方角に踏み出し、少しずつ見えてくる情景を手がかりに自分たち自身がどこへ向かうべきなのかを探り巡る旅(ジャーニー)のようです。
DXとは何を意味するのか、そしてどのようにその旅を始め、続けていけばよいのか。ここに、本書を通じて向き合っていくことになります。DXという言葉が持つ意味を探っていくために、まずその背景から捉えていきましょう。
2020年の地球規模の感染症拡大によって日本では、デジタル化の進展について民間企業はもちろん、行政の領域においてもその機運を大いに高めることになりました。業務のオンライン化やリモートワークへの急遽の対応に端を発して、その後も給付金申請をはじめとした行政手続き、学校や医療のオンライン対応など実に様々な混乱を露呈する形となりました。これらの事象が連日報道を賑わせ、日本のデジタル化の立ち遅れをはっきりと示すことになってしまったわけです。
「いかに非接触のまま人と人とが目的の所作を果たすか」ということは容易に解決しきれない、継続的に取り組むべきテーマとなっています。こうした状況が「デジタル化を促す」「これまでの業務や行動のあり方を見直す」という機運につながり、結果的にDXへの取り組みを後押しすることになったのは事実です(※1)。
2020年夏には、経済産業省から国内のDXに取り組む企業を評価し、その先進事例を紹介するDX銘柄の最初の発表(※2)がありました。この発信にはDXに取り組む企業への国としての期待を明らかにするとともに、他の企業にとっての手本となる事例の提供がその狙いにあると考えられます。国としてDXの推進を後押ししていく流れと、民間企業のDXへの関心の高まりが一致し、はからずもDX元年とも言うべき年になりました。
こうした動きを皆さんはどのように感じているでしょうか。「DXなんてただのバズワード」「デジタル化の名の下に手段が目的になっている」といったネガティブな印象を持たれている方もいるでしょう。事実、手段の目的化が起きているところも少なくありません。私もDXという言葉が持つ本当の価値に気づいたのは、大企業から中小企業に至るまで幅広く組織支援、事業開発に関わる中でのことでした。
DXとは単にこれまでの業務をデジタル化するという話でも、何らかのツールを導入するだけという話でもなく、この言葉によって「これからの組織のあり方を変える」という風向きを生み出せる絶好の機会なのです。DXへの期待とは、組織変革への機会と言い換えることができます。
なぜ、そう言えるのか? 1つずつ読み解いていきましょう。まず、この国が置かれている、今ここの「現在地点」とはどのようなものか、から。
過去の栄光と未来の衰退のはざま
「今の日本は先進国でも、また発展の途上でもなく”衰退途上国”である」という表現があります(※3)。実際、国際競争力を測るランキングで日本は順位を落とし続けています(※4)。数十年にわたって、経済が停滞あるいは衰退し続けるというのは、一体どういうことなのか。
これだけ一貫して落ち続ける状況にあるということは、もはやどういう状況が「良かった」のか、記憶に思い当たらない人も相当数いることになります。例えば、私の記憶の中にも、「良かった頃」という比較対象はありません。私がソフトウェア開発の仕事に就いた「2001年」は、就職氷河期と呼ばれ、多くの人が思うように仕事を得られない状況にありました。それから20年、この国の経済について華々しさを感じたときはありません。
一方、そんな状況でありながら、競争力に関する国際ランキングの数字が示すほど、身に迫るような危機感を感じたことも同時にないのです。いわゆる「茹でガエル」の状態にあったと言えます。人は環境への適応能力が思いのほか高く、少しずつの変化に対しては、受け入れてしまう傾向にあります。確かに、酷い数字を目にします。日本の人口減とそれに伴って予測される不都合は、「確かな未来」として提示されています。こうした予測の正確性が高まっており、確実な未来として目を背けようがないというのは、ITを専門としていなくても多くの人が分かるところです。
そんな状況にありながら、おそらく衰退途上の世界しか知らない世代にとっては状況を見る目は冷めていて割り切れてしまうのです。「そうはいっても仕方がない。今までもそうだったのだから」と。そう、やはり比較対象となる「良かった頃」が実感としてないため、差し迫る危機として高まってこないのです。
日本の今の組織の「現場」を預かり、また組織として「次の一歩」を担うのは、より若い世代です。そうした世代が、「滅びの未来に向かっています」と言われてもピンと来ないのは、なおさらに仕方がない話です。
注釈
※1 DXレポート2「2.2 コロナ禍で明らかになったDXの本質」に示されているとおり、コロナ禍がテレワーク制度、リモートアクセス環境の整備を促した格好となっている。
・デジタルトランスフォーメーションの加速に向けた研究会の中間報告書『DXレポート2(中間取りまとめ)』
※2 2020年8月「DX銘柄2020」「DX注目企業2020」
※3 冷泉彰彦のプリンストン通信『「発展途上」ではない。日本を衰退途上国に落とした5つのミス』
※4 IMD「世界競争力ランキング」2020年34位は、2019年の30位からの下落。1992年は首位にあった。2021年は31位と若干上昇したものの低迷が続いている。