2021年12月9日、エンタープライズ企業向けメディア「Darsana」(ダルサナ)主催のオンラインイベント「困難な人事マスタ統合、やり遂げた先にはどんな世界があるのか 実践企業に聞く、人事・IT面の効果と課題」が開催された。
本イベントの前半では、東京エレクトロンの「グローバルにおける人事制度統合」の背景と、それに伴うシステム刷新でWorkdayを導入した経緯と効果について、同社 人事部 HRテクノロジーG サブリーダーの長田浩二氏が行ったプレゼンテーションの模様をお伝えした。
記事の後半では、この内容を受けて行われた、長田氏、ワークデイ Japan Consulting Services マネージャ 石渡理氏、AnityA(アニティア) 代表取締役 中野仁氏によるパネルディスカッションの模様をダイジェストでお伝えする。
異なる国や会社のスタッフに、いかにデータを入力してもらうか
中野氏: 東京エレクトロンさんの事例では、人事マスタ/HRコアの統合にかなりの時間をかけていますね。着手してから、最終的に欧州のカットオーバーまで約3年かかっていますが、実際にはかなりの苦労があったのではないでしょうか。
長田氏: 初期データを入れてから、EIB(Enterprise Interface Builder)を通じて差分データを反映させる作業には、かなり苦労しましたね。EIBというのは、データを一括で取り込むためのWorkdayの機能なのですが、2016年4月1日時点のデータをグローバルで一斉に反映させてから、カットオーバーまでの間に発生した発令情報を「差分データ」として月に1回、EIBで反映させる必要がありました。
石渡氏: その作業は、本社が一括して行ったのですか?
長田氏: そうですね。各国の人事担当者からEIB用のデータを集めて本社で一括反映させていたのですが、各国から送られてくるEIBのクオリティがなかなか上がらず、本社で修正する必要があったり、多くの手戻りが発生したりして、かなり大変でした。でも、今では発令情報の更新は各国でやっていただいて、何か問題が発生したときだけ本社で対応する体制になっています。
石渡氏: これは実は、かなりすごいことなんです。Workdayユーザーの中にも、今だにグローバルのデータ登録を本社で一括してやっているところが多いのが実情です。そんな中、各国できちんとオペレーションを回せているとお聞きして、本当に驚きました。
長田氏: 具体的には、毎月の月初にグローバルのヘッドカウントを出して、各国に「もう、これで社長に報告するから、もし違っていたらいついつまでにWorkday上のデータを直してね」と通知します。そうすると各国とも「あぁ、ここは違います」と直してくれるので、月初の段階でヘッドカウントをグローバルでしっかり合わせることができています。
このデータは当然、決算の報告資料などでも使いますので、こうやって毎月きちんと数字を合わせられているのは大きいと思います。
データ入力に協力してもらうための工夫とは
中野氏: Workdayに限らず、スタッフにきちんとデータを入力してもらうのは、実際はとても大変ですよね。
石渡氏: きちんと入力してくれる国もあるでしょうけど、「本社の言うことなんか知らん!」「うちにはうちのオペレーションがあるんだよ!」と言って、なかなか協力してくれないことも多々ありますよね。東京エレクトロンさんの場合は、各国の担当者がWorkdayにデータを入力せざるを得なくなるような仕掛けをつくったりしたのでしょうか。
長田氏: 日本と米国の場合は、Workdayにきちんと入力しないと、そもそも給料計算が変わってしまうので、やはり入力せざるを得ない状況ですね。
ただ、例えば韓国などはWorkdayへの入力と他の業務が直接にはつながっていないので、当初はなかなか入力してくれませんでしたね。そこを何とか説得して、今ではようやく、月初の数日間でヘッドカウントを固められるようになりました。
中野氏: ある会社の事例で、Workdayとアカウント管理の仕組みを統合して、社内ITを使いたければ否応なしにWorkdayに人事情報を入れざるを得ないような仕組みを作った──と聞いたことがあります。東京エレクトロンさんは、そのような仕組みを設けているのでしょうか。
長田氏: 弊社でも同様ですね。Workdayに人事情報を入れないと、全社共通Active Directoryを使えないような構成にしています。ただ、一部の国では、IT部門同士がやりとりしてWorkdayに情報を入力せずともADを使えるようにしているようですね。
中野氏: ちなみに導入プロジェクトはIT部門と共同で行ったのですか?
長田氏: SSOやAD、セキュリティの部分だけで、ほかはノータッチでしたね。
中野氏: 確かに、導入プロジェクトにIT部門が参加していないと、そういうやり方もできてしまうかもしれないですね。
石渡氏: 性善説に立って「本社がデータをくれといったら、きっとくれるだろう」と期待してはいけないということですかね。やはり、入力せざるを得ない状況を作り上げるか、もしくはきちんとコストをかけてデータを集める必要があるのでしょうね。
給与計算業務をアウトソースしたことによるメリット
中野氏: 人事システムの刷新を機に、「ペイロール(給与計算業務)をアウトソースした」という点にも注目しています。
長田氏: 実は当時、米国企業との統合話が持ち上がっていて、統合後は米国式のシンプルな給与体系になって、ペイロールもアウトソースできる──と先方から言われていたらしいです。
その後、統合話自体は立ち消えになったのですが、ペイロールのアウトソース自体はそのまま実施したというのが実のところのようです。当初は業務を大幅に効率化して、社内の給与部門の人員を3人まで減らす目標があったらしいのですが、実際にはほんのちょっと減った程度でした。
石渡氏: でも、東京エレクトロンさんほどの規模の会社でペイロールをアウトソースするというのは、なかなかできることではないと思います。
Workdayを導入する企業は、大抵の場合、とても高い理想をお持ちなのですが、給与計算と連携する段になって「給与計算に影響が出るから、勝手に変えないでくれ」「組織の持ち方を勝手に変えられたら給与計算に影響が出るからやめてくれ」と、さまざまな制約が生じて、結果的に当初の構想が後退してしまうこともままあります。
東京エレクトロンさんの場合、思い切って給与計算をアウトソースしたことが、その後の成功の大きな要素だったことは間違いないと思います。このことをもって「世の中のすべての企業が給与計算をアウトソースするべきだ」と言うつもりはまったくないのですが。
長田氏: この点については正直なところ、弊社の中でも評価は定まっていませんが、「まあ結果的に良かったのかな」「成功だったのかもしれないね」という声は確かに上がっていますね。
ダッシュボードによる可視化は経営層に対するアピール効果も
中野氏: 先ほど見せていただいたダッシュボードのように、きちんと人事データをタイムリーに可視化する仕組みを実現している会社は、実際にはほとんどありませんよね。
Workdayに限らず、SaaS系のベンダーは、デモンストレーションの際にあのようなきれいなレポートを見せて「御社もこういう世界に行けますよ!」と売り込むのですが、実際にはこのレベルに辿り着くには相当高いハードルを越える必要があります。そんな中、あれだけの精度でデータを可視化できているのは本当にすごいと思います。
石渡氏: Workdayの営業が退職リスクのレポートをお客さまにデモでお見せするところはよく見るのですが、実際にお客様が自社の退職リスクのレポートを作って運用しているところは初めて見ました! かなり時間がかかったのではないですか?
長田氏: 実際には、分析を含めて3カ月ぐらいで実現できたんです。もともとデータがそろっていたことに加え、統計解析ツールなども併用して、その結果をWorkdayのレポートに反映させる仕組みをメンバーが短期間のうちに実装してくれました。
中野氏: なぜ、この取り組みに感銘を受けたかというと、経営層に与えるインパクトが違うんですよね。日本企業の経営陣の多くは、「人事システムをコストと捉えている」ので、こういう分かりやすい効果を見せることができると、ROIをインパクトある形でアピールできます。
石渡氏: 経営陣にとっては、やはり利益を直接、上げられる施策の方が訴求力が高いのでしょうが、離職リスクレポートのような取り組みは、「優秀な人材が辞めてしまっている」「離職率が高まっている」というリスクをきちんと可視化することによって「損害を減らせる」という意味で、経営に直接貢献できる取り組みなんですよね。
長田氏: ただ、本当の意味で経営に響くような分析は、まだまだこれからだと思っています。本来ならWorkday上の人事データだけでなく、より高度な分析でピープルアナリティクスを推進していく必要があると思っています。ですから、この先の道のりはまだまだ長いと感じています。
人事システム導入プロジェクトにおける情シスの立ち位置
中野氏: それでは、イベント参加者の方々から寄せられた質問に答えていきたいと思います。
「プロジェクトに対する情報システム部門の関わりについてどうお考えですか?」という質問をいただいています。理想を言えば、人事システムの導入プロジェクトには情報システム部門に深く関わってほしいところですが、得てして情報システム部門は人事系システムに深入りしたがらないですよね。
石渡氏: 人事情報が他部門の社員の目に触れることを人事部門は嫌がりますから、情報システム部門が人事情報を触るとなると人事部門側も抵抗を示すことが多いですよね。これは人事情報というデータの性質上、当然のことではあります。
従って、やはりIT部門と人事部門の機能を併せ持つHRIS(Human Resource Information System)を組織するのが最適解だと思います。日本ではまだまだHRISはマイナーな存在ですが、私もお客様とお話しするときにはダメ元でも真っ先に「HRIS組織を作りませんか?」と提案しています。
中野氏: 次に「従業員の方々のプロジェクトに対する評価・評判はいかがでしたか?」という質問もいただいています。
長田氏: 日本以外ではとても評判が良かったですね。特に米国人はWorkday大好きですから、「やっぱりWorkday、いいね!」と好評でした。
一方、日本では、導入時のタイミングも悪くて、一時は評判がよくなかったのも事実です。ユーザーが直接Workdayを触る初めてのタイミングは人事評価の時だったのですが、それまではリッチなExcelで簡単に評価できたところが、Workdayに切り替えた直後は「なぜこんな操作をしなくてはならないんだ!」と大炎上しました……。でも、4年経った今では、当時の騒動が嘘のように、皆、当たり前に使ってくれています。
中野氏: とにかく「慣れろ!」ということですね。私も何度も経験していますが、仕組みを一気に切り替えた直後は、どうしてもエンドユーザーから不満の声が挙がります。しかし、半年も経てば皆、すっかり慣れて当たり前のように使うようになります。
長田氏: 弊社では、Workday導入直後から「Excelデータを紛失したり壊したりするリスクがなくなった」「上司のフィードバックをいつでも参照できるようになって便利になった」と、ポジティブに評価してくれる人もいたのが、とてもありがたかったですね。
中野氏: やっぱりデータが蓄積してくると、データ統合やシステム化の価値が出てきますよね。分かる人には、その価値はきちんと伝わるんですよね。
経営層に対するインパクトは
中野氏: 「経営層は、Workdayの導入効果をどのように評価しましたか?」という質問も寄せられていますが、こちらはいかがでしょうか?
長田氏: 「Workdayは値段が高い」とよく言われますが、弊社に関しては、それまで外注していたシステム保守を内製できるようになったことで、運用コストをかなり削減できました。この点についてはきっちり効果を出せたので、経営層にも評価いただいていると思います。
導入後はデータの可視化を順次進めていましたが、先ほど見ていただいたダッシュボードのような取り組みは、やはり経営層に対するインパクトは大きいですね。グローバルのヘッドカウントが見えるだけでも経営層は結構満足するところがあるので、「ああ、これはすごいね!」と評価してもらっています。
もともと、弊社の執行役員の口癖が「業界No.1の企業に絶対勝つんだ」というものだったのですが、そのために最近では「No.1企業に勝つための人事組織とシステムを作ろう!」と頻繁に口にするようになっています。こうしたことからも、導入効果や投資対効果は経営層にも高く評価されているのだろうと思います。
中野氏: 東京エレクトロンさんが主戦場とする半導体製造装置のマーケットで世界を相手に戦うとなると、人事や組織面の施策は本当に重要ですよね。海外では、人材獲得合戦が本当に熾烈ですから、その中で勝っていくためには、まずは海外のライバル企業が当たり前にやっている人事施策を最低限できた上で、さらに自分たちの独自色を出していく必要があるんでしょうね。
長田氏: 正直、その点において弊社はやはり遅れをとっていると実感しています。特にアジアでは優秀なエンジニア人材の流動性がとても高くて、ちょっと気を抜いていると他社に引き抜かれてしまいますから。
現状では各国が工夫を凝らして必死に優秀なエンジニアを引き留めたり、何とか優秀な人材を新規採用しようとしていますが、まだまだやるべきことは多いと感じています。
中野氏: 逆に言えば、「日本企業がなぜ、人事システムに対する投資を重視しないか」というと、国内の人材流動性が低いのも、大きな理由の一つですよね。基本的に人が辞めないので、タレントマネジメントに本気で取り組む必要性も感じないんですね。
石渡氏: そのため日本では、今いる人材を「どう育成するか」「適材適所でどう配置するか」という点に重きを置きがちですね。
中野氏: そのような観点に立った「日本企業ならでは」の人事データ活用やタレントマネジメントの在り方が、今、求められるのだろうと思います。ただ、その半面、日本の雇用文化もここに来て徐々に変わりつつありますよね。終身雇用制度が徐々に崩れてきて、若い人たちは転職に躊躇しなくなっていますから、今後はそういう「時代の変化を先取りした人事データ活用の在り方」も求められてくるでしょう。