困難だった人事系データの集約、ポイントは「データハブ」をどう設計するか──楽天グループの人事戦略を支えるシステムとは


 少子高齢化が急速に進むこれからの時代、企業にとって「優秀な人材の確保と育成」は、ますます重要な課題になってきている。

 そうした戦略的な人材開発や人事配置を、競合他社に先駆けて実現するには、ITを駆使したデータ活用の仕組みが不可欠だ。特に、「自社の人材の価値を正確に可視化し、いつでも最新の人事情報にアクセスできる情報基盤」の存在なしに実現するのは、極めて難しいといえるだろう。

 現在、多くの企業がこうした人事情報基盤の構築に挑んでいるが、人事マスタの構築や周辺システムとのデータ連携などに手間取り、思うような成果を上げられないケースが少なくない。しかも日本は、勤怠管理や給与計算の業務形態が海外と比べ極めて特殊なため、特にグローバル企業では、海外の拠点や子会社を含めた「グループ全体での人事系システムの統合に」苦労するケースが多い。

 こうした課題を企業はどのように解決しようとしているのか——。AnityAが2021年4月20日に開催したイベント「戦略人事へのシフトを妨げる『人事マスター不在』問題、データ連携でどこまで解決できるのか」では、わずか1年で人事系システムの刷新と統合を遂行した楽天グループの事例をベースに、解決策を探るためのパネルディスカッションを行った。

 楽天グループは、ここ数年間で人事系システムの大胆なリプレースと統合を推し進め、海外子会社も含めたグループ全体で人事情報の一元管理を実現している。

 イベントの前半では、このシステム統合プロジェクトを主導した楽天グループ株式会社 コーポレート情報技術部 プロダクトマネージャの一見仁氏が、プロジェクトの背景と実装プロセスを説明した。

楽天グループ株式会社 コーポレート情報技術部 プロダクトマネージャの一見仁氏

グローバルHRISの本格整備に乗り出した楽天グループ

 楽天グループは、30カ国でビジネスを展開しており(2021年5月時点)、25カ国に海外拠点を設けている。海外の人材も積極的に採用しており、現在では70以上の国や地域の出身者が同社の社員として働いている。2010年に同社が「英語公用語」の方針を打ち出した際には大きな話題を呼んだが、現在、楽天グループ株式会社(単体)で働く社員の約4分の1が海外出身者で占められているという。

 一見氏も、もともとは開発部門の人事担当マネジャーとして海外の人材を採用・育成する任に当たっていたが、2016年から社内システム部門に異動し、グループ内の人事・総務系システム全般の企画・構築・運用を担当している。

 海外も含めたグループ全体で2万人を超える従業員を抱えるグローバル企業である同社は、グローバル市場における競争力を高めるべくIT技術を積極活用した戦略的な人事施策を推し進めており、「HRIS(人事管理システム)」のグローバル展開に早くから取り組んできた。

 具体的には、グローバルHCM(人材管理システム)製品を導入してコアHCMシステムとして利用しているほか、その周辺システムとして採用管理製品、経費精算システムといった製品群を導入し、グループ全体での人事系システムの統合を進めてきた。

 しかし、一見氏によれば、当初のグローバルHRISの施策には課題も多かったという。

 「人事情報の正確さと鮮度を保つためには、従業員が入社・退社したら、各子会社の人事担当者に即座にその旨をシステムに登録してもらう必要があります。しかし、担当者本人にはシステムに登録することのインセンティブがないため、結局は月1回、あるいは四半期に1回まとめて登録するような運用が常態化してしまい、中には従業員情報を記入したワークシートを本社に送ってきて代理登録を依頼してくるところも少なくありませんでした」

 その結果、HCMシステムを構築したものの、そこに登録された人事情報は正確さや鮮度に欠け、戦略的な活用をするのは難しい状態だったという。結果的に、本社が各子会社や各部門のヘッドカウントを知るためにしか活用されず、それに対して疑問の声が上がることもなかったという。

 しかしその一方で、同社のビジネスは年々グローバル化の傾向を強めており、海外市場における競争力を強化するためには、グローバルHRISの取り組みはもはや「待ったなし」だと考えられていた。

 「英語を公用語化したり、海外の会社を積極的に買収したり、外国籍の従業員が増えてきたりと、会社自体がグローバルな性格を年々強めていましたから、グローバルでのコラボレーションをより後押しできる仕組みが求められていました」(一見氏)

 また、マーケティング戦略面でも、FCバルセロナとのスポンサー契約や、北米のプロバスケットボールリーグNBAとのパートナーシップ締結など、楽天グループのネームバリューを海外で高めるためのマーケティング戦略を積極的に推し進めており、こうしたプロジェクトを成功に導くためにも、「タレントマネジメントを含めたグローバルな人事施策」をタイムリーに展開して海外の優秀な人材をより多く確保する必要があった。

 さらには、海外企業を買収した後のPMI(ポスト・マージャー・インテグレーション)が順調に推移し、買収先企業とのITインフラ統合の目途が立ってきたことから、IT部門でもいよいよグローバルHRISの本格的な整備に着手できる気運が高まってきていた。

 「単一のアカウントでグループ内のすべてのシステムにアクセスできるようにするとともに、誰がどこでどんな仕事をしているのかを瞬時に把握できるような仕組みを実現しようという気運が高まっていました。

 そこでまずは、入社・退職の登録をグローバルでタイムリーかつ一元的にシステムで管理できるようにして、それをトリガーにしてアカウント発行や削除の自動化を行う仕組みの実現を目指すことにしました」(一見氏)

構築期間はわずか1年間 新システムを全世界同時に導入

 こうして2016年から、次期HCMシステムについての検討がスタートした。これまで利用してきたクラウドベースの人事管理システムをバージョンアップして使い続けるという選択肢のほかにも、市場で高い評価を得ている幾つかのSaaS製品が選定候補に挙がった。そのうちの1つが、米Workday社が開発・提供するクラウド型人事・財務アプリケーション「Workday」だった。

 「Workdayはグローバルの実績も十分でしたから、当初から選定候補には挙がっていました。そこで他の製品とも比較しながらその機能を子細に検討したところ、HR側のビジネス要件を満たしていることに加え、積極的な機能開発体制やデータ連携の柔軟性がある点が社内で評価されました」(一見氏)

 楽天グループの米国法人が、独自にWorkdayの導入を進めていたことも大きく影響した。2016年にWorkdayの導入を決定し、2017年4月には早くも「HCM Core」「Payroll(給与計算)」「Time Tracking(勤怠管理)」といった主要機能の稼働にこぎ着けていた。こうした米国法人における実績も加味した上で、同社は最終的にグループ全体のグローバルHRISをWorkdayを中心に構築することが決まった。

 早速、Workdayの導入支援で実績があるパートナー企業を選定し、導入プロジェクトを立ち上げた。楽天グループほどの大規模グローバル企業ともなると、人事系システムの再構築には極めて長い期間がかかると予想されるが、同社はわずか1年間でHCM Core機能の設計と構築を完遂し、しかも少しずつ段階的に導入していくのではなく、全世界同時にリリースするという、いわゆる「ビッグバン導入」を成功させた。

 こうして2018年7月にHCM Core機能をリリースしたのを皮切りに、同年10月には「Performance(タレントパフォーマンス管理)」、2019年3月には「Learning(学習管理)」の機能を立て続けにリリースした。なお、同社ではもともと、既に導入していたクラウド型人事管理システムの学習管理機能を利用していたが、HCMに続き学習管理に関してもWorkdayが取って代わったことで、この時点で従来のクラウド型人事管理システムの利用は完全に終了した。

 続いて2019年7月にWorkdayの経費精算機能「Expense」をリリースし、それまで利用し続けてきたクラウド型経費精算システムの稼働もこの時点で終了させた。さらに2020年5月には「Recruiting(採用管理)」の機能をリリースし、それまで採用管理のために利用してきた人材管理サービスからのリプレースも実現した。

 こうして、それまで複数のアプリケーションに分散していた人事系システムの機能をWorkdayに集約したことで、より高度かつタイムリーに人事情報を管理・活用できる基盤が一通り整うことになった。

 「当初は、HCM Coreをわずか1年間でビッグバン導入するのは無茶なスケジュールだと言われましたが、何とか予定通りに納めることができました。現在ではシステム登録者数3万8000人、40の国や地域、180社の会社でこのWorkdayの仕組みが日々活用されています」(一見氏)

「中間DB」を介してWorkdayと他システムのデータ連携を実現

 こうして楽天グループでは、Workdayに最新の人事情報を集約させ、グループ全体のグローバルHRIS基盤として運用している。新たに人材を採用した際には、入社前にその人自身に個人情報をWorkdayに登録してもらい、人事情報の鮮度や正確性を担保するようにした。

 また、この登録をトリガーにしてアカウントを新規発行し、これを使ってグループ内のあらゆるシステムにSSO(シングルサインオン)でアクセスできる環境も整えた。

 このように同社では、タレントマネジメントや人材育成、採用活動など、さまざまな人事関連業務でWorkdayをフル活用しているが、一方ですべての業務をWorkdayだけでカバーできるわけではない。社員検索や給与・勤怠など、Workday以外のアプリケーションを必要とする場面も多数存在する。また経理・会計システムや入退室管理システム、ヘルプデスクツールなど、人事業務とは直接関係ないものの、人事情報を必要とするシステムも社内に多数存在する。

 そこで、こうしたシステム群がWorkdayの人事情報に容易にアクセスできるように、独自のデータ連携基盤を自前で構築した。具体的には、Workdayを最新の人事情報を管理する「最上流」のシステムと位置付け、その「下流」に約160の外部システムを位置付ける。この上流と下流の間でデータがスムーズに流通できる仕組みを整えるわけだが、Workdayと160のシステムとの間のデータ連携を一つひとつ個別に実装していては、開発・保守に膨大な手間が掛かってしまう。

 そこで、Workdayと下流システムとの間に「中間データベース」と呼ばれる仕組みを設けることにした。具体的には、下流システムが必要とする各種情報をWorkdayから定期的にバッチ処理で取得し、データベース上に別途保管する。下流システムは人事関連情報が必要になった際、Workdayに直接アクセスするのではなく、この中間データベースにアクセスしてデータを取得する。

 その際に下流システムが、データをより簡単に取得できるよう、APIとファイル連携のインタフェースを実装している。また「上流から下流」へのデータの流れだけでなく、下流システムからAPIやファイル連携を通じてデータを中間データベースにアップロードし、さらにWorkdayのデータベースに更新をかけられるようにもしている。

 例えば、システムアカウントの発行および管理はWorkday以外のシステムで行っており、ここで新たに発行されたアカウントの情報は中間データベースを通じてWorkdayに提供され、自動的にデータベースが更新される仕組みになっている。

 また、オフィスのどの席に誰が座っているのかを示す「シートマップ」の作成や公開も専用の下流システムが担っており、中間データベースを通じてWorkdayから人事情報や組織情報を取得してシートマップを作成すると同時に、その内容が更新された際には逆に、中間データベース経由で更新内容をWorkdayのデータベースに反映させている。

 さらにこの中間データベースでは、Workday以外のシステムからも必要に応じて適宜、情報を収集している。例えば日本特有の給与関連情報など、Workdayの標準機能でサポートしていない情報は、Workdayをカスタマイズして管理できるようにするのではなく、関連システムから中間データベースに直接データを格納してマスタ情報として扱えるようにしている。

 このような中間デーベースを介したデータ連携・管理の仕組みを構築した理由について、一見氏は次のように説明する。

 「このようないわゆる『データハブ』の仕組みを設けることで、データ連携プログラムの開発やメンテナンスの手間を削減できます。また、もし将来的に上流システムがWorkday以外のものに置き換わったとしても、中間データベースと下流システムとの間のインタフェースさえうまく抽象化して設計しておけば、下流システムに与える影響を最小化できます」(一見氏)

グローバルHRIS推進のための専任組織を新設

 なお、Workdayを中心とした新たなグローバルHRISの仕組みを構築するのに合わせて、システムの運用体制にも大幅な変更を加えた。

 Workdayを導入した当初、楽天グループにはHRISの専任組織が存在しておらず、各部署から関連する人材を集めてプロジェクトを運営していた。また、プロジェクトの運営元は日本の本社だったが、グローバルで利用される仕組みだけに海外拠点のメンバーも多く、英語ができる本社メンバーに過度の負担が掛かっていた。

 そこで体制を改めて、本社の人事部門の中に正式にHRISの専門チームを立ち上げ、「システム設計」「システム運用」「データ管理」「PMO」といった個別の機能ごとにチームを設けた。加えて、海外の拠点や子会社向けにHRISのサポートを行う「グローバルHRISチーム」も新設し、本社のHRISチームと連携しながらグループ全体のグローバルHRISを推進していく体制を整備した。

 こうして、システム面のみならず体制面にもメスを入れた結果、現在ではかなり強力にグローバルHRISを推し進められるようになったという。ただし、決して現状に満足しているわけではなく、まだ解決すべき課題があると一見氏は述べる。

 「入社情報を登録することでアカウントが発行される仕組みを導入したことにより、これまで大きな課題だった『現場が入社情報をなかなか登録してくれない』という課題は解決しました。ただし、ただし、退職時についてはグローバルレベルでのプロセスの統一化はまだできておらず、オペレーションの改善余地があるので、現在、取り組んでいるところです」

 また派遣社員など「直接雇用以外の従業員」はWorkdayのタレントマネジメントの対象外であるため、これまではWorkdayへの入社登録は行ってもらうものの、Workdayのアカウントは発行していなかった。しかし、Workdayの学習管理機能の導入後は、こうした従業員にも入社後のコンプライアンストレーニングなどの限定的な機会での機能利用が増えてきた。これにより、ライセンスコストの負担が発生するようになったため、要件に見合った機能やコストのシステムの利用などを検討しているところだという。

 さらには、一般従業員へのWorkdayの浸透度もまだまだ改善の余地があるという。

 「人事部門のメンバーだけでなく、現場の従業員にももっとWorkdayの機能を活用してもらい、自らどんどん情報を入力してほしいのですが、まだまだ十分に定着しているとは言えない状況です。こうした状況を変えるためには、勤怠管理のように日々従業員が触る機能をWorkdayから提供することで、自然とシステムに慣れ親しんでもらうような仕掛けを考える必要があるのかもしれません」(一見氏)

執筆

吉村哲樹記事一覧

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。その後、外資系ソフトウェアベンダーでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。

イベント企画

後藤祥子記事一覧

ITmediaエンタープライズの担当編集長を経て独立。現在はエンタープライズITの変革者に伴走するメディア「Darsana」の編集長として、変革者へのインタビュー、イベント企画、コミュニティ運営を手掛けている。ITとビジネスをつなぐ役割を担っているCIO、IT部門長へのインタビュー多数。モットーは、「変化の時代に正しい選択をするのに役立つ情報を発信すること」

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