渋谷区の“超DX”は「古き良き昭和の区役所に戻るため」──“脱・お役所仕事”のファーストペンギン、渋谷区の副区長 澤田伸氏が語る「区政改革の本質」


 「お役所仕事」という言葉を聞いて思い浮かぶのは、「融通が効かない」「形式にとらわれて変われない」「杓子定規な対応」といったイメージですが、その真逆を行く「超最先端の改革」で注目されているのが渋谷区役所です。

 「YOU MAKE SHIBUYA」というビジョンを掲げて、「渋谷区が目指す姿」を区民に共有するとともに、それを実現するための取り組みを加速させ、DXやIT化の推進を、「ビジョンを実現するための手段」として最大限に活用しているのです。

 ペーパーレスの推進やリモートワーク環境の導入、AIやRPAを使った効率化といった区役所内の改革を進めるとともに、区民が区役所に足を運ぶことなく、サービスを受けられる環境づくりを推進。民間企業とタッグを組んで実現した「住民票の写しをLINEで請求できるようにするサービス」は、その是非も含め、大きな話題になりました。

 渋谷区はなぜ、民間企業でも実現できないような“超DX”ともいえる大胆な改革を「変わるのが難しい」といわれる「お役所」で実現しているのでしょうか。また、改革はどのようなリーダーシップのもと、どのようなプロセスで進めているのでしょうか。

 改革の立役者である渋谷区副区長 澤田伸氏と、働き方改革の旗手、沢渡あまね氏との対談で明らかにします。

渋谷区にとって業務改革のためのDXは「もはや過去の話」

沢渡氏: 澤田さんは現在、渋谷区の副区長としてITを活用した業務変革や行政サービス改革に取り組んでいらっしゃいます。もともとは民間に長くおられて、さまざまな企業で業務部門の立場からITを活用した課題解決や業務改革を実現してきたとお聞きしていますが、これまで「業務部門がリードするIT改革」というテーマにどのように取り組んできたのでしょうか?

【渋谷区副区長兼CIO 澤田伸氏 プロフィール】1959年大阪市生まれ。1984年立教大学経済学部卒業後、飲料メーカーのマーケティング部門を経て、1992年より広告会社博報堂にて流通、情報通信、テーマパーク、キャラクターライセンス、金融クライアントなどを担当し、マーケティング・コミュニケーション全域のアカウントプランニング業務に数多く携わる。その後、2008年外資系アセットマネジメント企業において事業再生部門のマーケティングディレクター、2012年共通ポイントサービス企業のマーケティングサービス事業部門の執行責任者を経て、2015年10月より渋谷区副区長に就任

澤田氏: 正直に申し上げると、「業務部門 vs. IT部門」という構図はこれまでほとんど意識したことがありません。

 IT部門も業務部門の1つですし、組織全体としてビジョンやゴールがきちんと共有されていれば、組織間の不毛な対立や軋轢は起きないはずです。むしろ技術的な制約やバイアスに縛られない分、IT部門より業務部門の方がテクノロジーの活用に関して自由な発想が生まれやすいのかもしれません。

 私自身は特にIT活用や業務改革について特別なノウハウを持っているわけではなくて、「お客様第一主義」の立場に立って、お客様のためにサービスを設計して提供する「カスタマーサービスデザイン」の考えに基づいて行動しているだけです。

 役所にとってのお客さまは、「納税者である住民の方々」ですから、「住民の方々の困りごとや課題を解決するために、デジタルの力をどう活用できるのか?」ということを愚直に追及しているだけなんです。

沢渡氏: 私もこれまで、さまざまな自治体や官公庁の方々から話を聞いてきましたが、行政はどうしても「目の前の課題を解決すること」に終始しがちで、長期的なビジョンに立ったイノベーティブな発想はなかなか生まれにくいことを実感しています。

澤田氏: 私自身は、もともと長く民間企業で働いた後に行政に転身したのですが、行政と民間の組織の間に、さほど大きな違いがあるとは思っていません。

 よく、「行政の組織はピラミッド型で、硬直化している」と言われますが、民間だってほとんどの大企業はピラミッド型組織ですから、民間から行政に転身した際も、さほど違和感を覚えることはありませんでした。

 実際、やっていることも、これまで民間で培ってきたマーケティング、ファイナンスの経験や知識を生かした課題解決ですから、民間企業でやってきたことと何ら、変わらないのです。

 具体的には、2015年10月に副区長に就任し、2016年度の予算編成に着手してすぐに、「区役所全体のコミュニケーション効率や業務生産性がとても低い」という課題に突き当たりました。

 そこで早速、業務生産性向上のためのICT投資を決めて、投資の根拠を示すためのROIの算出もきめ細かく行いました。また、職員の意識改革を促すために勉強会やセミナーなどを開いて、庁内の「変革のカルチャー」を少しずつ醸成していきました。

 2017年の時点では既に、AIチャットボットを導入して、生産性を劇的に向上させるための取り組みを始めていましたから、私たちにとってデジタルトランスフォーメーション(DX)は既に過去の出来事なんです。

沢渡氏: なるほど! 現在はどのような改革に力を入れているのでしょうか?

澤田氏: 現在渋谷区では、DXの次に来る「UX」の実現に向けてさまざまな取り組みに着手しています。

 UXとは“Urban Transformation”の略称で、さまざまな民間事業者さんと手を組んで「都市全体をどのようにトランスフォームするか?」という課題に取り組んでいるのです。

 もちろん、これを実現するにはデジタルやデータの力が不可欠ですから、デジタルのさまざまな施策も引き続き進めていきますが、少なくとも「業務変革」という意味でのDXは既に2年前にほぼ完了していて、私たちにとってはもう過去の話なんです。

マイナンバー失敗の主因は「カスタマーサービスデザイン」の欠如

澤田氏: これまで行政がデジタル化やデータ活用に消極的だった理由の1つは、「データを公開すると、自分たちの政策の正当性が否定されかねないから」です。

 でも、私たちは今、「シティ・ダッシュボード」というサービスを通じて、行政データを広く一般に公開する仕組みの構築に着手しています。

 これが実現すれば、例えば「住民票の写しの取得において、ある出張所では1件当たりの住民負担コストが6000円掛かる一方で、徴収する手数料はわずか300円」といったように、行政サービスに掛かるコストや、そのために必要な費用の住民負担が一目で分かるようになります。

 こうした情報が、広く区民の皆さんの間で共有されるようになれば、自ずと行政サービスのオンライン化に対する理解が深まるだけでなく、従来型のお客様サービス窓口の在り方についても共通認識の中で議論を行うことが可能になるんです。

 一方、高齢者の方々の中には、デジタルに対してアレルギーを持つ方が多いのも事実です。そうした方々に対するケアが疎かにならないよう、65歳以上の高齢者の方々にスマートフォンを無償で貸与して、行政と通信事業者の協業により、フルサポートで使い方を指南することでデジタルデバイドの解消事業を2021年4月スタートで開始予定です。

 こうして丁寧なサポートを提供する代わりに、スマートフォンの利用履歴のログデータを使わせていただき、健康や生活サービスの改善などに生かしていく予定です。

【作家/業務プロセス&オフィスコミュニケーション改善士
あまねキャリア工房 代表/なないろのはな取締役 沢渡あまね氏 プロフィール】日産自動車、NTTデータ、大手製薬会社などを経て、2014年秋より現業。経験部門は、広報・情報システム(ITサービスマネジメント)・ITアウトソーシングマネジメントなど。企業の業務プロセスやインターナルコミュニケーション改善の講演・コンサルティング・執筆活動などを行っている。300以上の企業・自治体などでワークスタイル変革、組織変革、マネジメント変革に取り組む。著書は「ここはウォーターフォール市、アジャイル町 ストーリーで学ぶアジャイルな組織のつくり方」(翔泳社刊)「IT人材が輝く職場 ダメになる職場 問題構造を解き明かす」(日経BP刊)「仕事ごっこ~その“あたりまえ”,いまどき必要ですか?」(技術評論社刊)など多数

沢渡氏: そうやって、あまねくすべての人々が当たり前のようにデジタルを活用できるようになって初めて、「ITが水道やガスのような社会インフラとして」広く使われるようになるのだと思います。

 私は、あらゆる社会課題を解決するための一丁目一番地は「ITのインフラ化」だと考えています。でも、なぜか日本の企業や組織のトップやマネジメント層は、ITを敬遠しがちなんですよね。どうしても「改革は進めよ、ただしITは除く」となってしまう。

澤田氏: 首長に関して言えば、「いくらIT活用を謳っても選挙の票につながらない」のが一因だと思いますが、そこを変えていかなければなりませんね。

 もう1つの大きな問題は、国民全体にITの優れたユーザー体験を提供できていないことです。これまで「うわー、便利だな!」「これはすごいぞ!」という驚きや感動を与えられるような行政のICTサービスは、残念ながらほとんど存在しませんでした。

 それもそのはずで、大半のサービスは「行政側の業務都合に合わせて設計されている」ので、ユーザーの立場に立ったUIやUXがまったく考慮されていないのです。マイナンバーなどはその典型的な例でしょう。

沢渡氏: マイナンバーはまさに失敗プロジェクトの典型ですよね。なぜ、マイナンバーはあのようなことになってしまったとお考えですか?

澤田氏: まず1つには、「物理カードに依存した仕組み」である点が挙げられます。そしてもう1つの問題が、「カスタマーサービスデザインの発想が決定的に欠けている」点です。

 サービスのオンライン化を謳っておきながら、結局は「紙の郵送」や「窓口での届け出」といったアナログのプロセスが入り込んでいて、End to Endのユーザー体験を意識したサービスデザインがまったくできていません。

 ここまで来ると誰の目にもサービスの欠陥は明らかですから、然るべき人がきちんとここまでのレビューをしっかり行った上で、課題を共有し、今までの延長線上ではなく「未来を見据えたサービスデザイン」を実行すべきですね。そうしないと、このままずるずると負の遺産を貴重な税源で運用し続けることになってしまいますよね。

「デジタルの恩恵」を体感しないと「DX」は進められない

澤田氏: 行政のデジタル化やDXがうまくいかない理由の1つに、「行政自体の業務のデジタル化が遅れていること」が挙げられます。

 渋谷区では住民サービスのDXの前に、まずは「EX(Employee Transformation)」、つまりサービス提供側である行政自らの業務のDXが先に来るべきだと考えています。

 まずは、職員や従業員が自分たちの業務をデジタル化して、デジタルの恩恵を自ら体感することで初めて「お客さまにもデジタル技術を活用した優れた体験を提供しよう」というモチベーションが湧いてきます。

 EXの実際の取り組みは多岐に渡りますが、中でも最も効果が分かりやすいのはペーパーレスですね。

 実は、紙そのものや印刷などに掛かるコストの削減効果は微々たるもので、本当に重要なのは「コピー機との間を行き来する」「印刷した紙を製本する」といった「紙にまつわるすべての人間の行動導線にかかるコスト」なんです。

 これらを、こと細かにすべて洗い出して計算してみたところ、紙を印刷するために掛かっている周辺コストは一般管理費ベースで時間当たり4700円にも及ぶことが分かりました。

沢渡氏: 紙に印刷された情報は、デジタルデータのように「自動的にアップデートされることがない」ので、紙の情報だけに頼っていると最新の情報をキャッチアップできなくなり、結果的に意思決定を誤るリスクにつながります。

 また、紙のデータは外部のデータへ直接リンクできませんから、データをその場でさらに深堀りしたり、別の角度から分析するといった使い方もできません。

 さらに、印刷、手書き、押印、郵送など、紙を伴う作業が「人の集中力を削ぐ」ことも大いに問題です。気持ちを切り替えて、本来、業務に再び集中するための「再起動」の時間やコストがかかる。この「見えない損失」も馬鹿にならないですよね。デジタルでやれば一瞬で終わるのに。

澤田氏: にもかかわらず、ほとんどの行政機関の業務プロセスは、いまだに紙に大きく依存しています。これらをデジタル化するだけでも、大きな改善が見込めるんですよ。

 渋谷区では現在、RPAを使った業務省力化にも取り組んでいますが、この効果を算出するためにも職員の福利厚生費から社会保障費、退職金引当金に至るまで、すべての人的コストの削減項目を洗い出しています。

 デジタル投資のためには、納税者の方々からいただいた貴重な税を投入するわけですから、そこまで徹底的にROIを管理する必要があるんです。

沢渡氏: ここまで事細かにコスト削減効果を算出するのは、かなり大変でしょうね。

澤田氏: 確かに、最初にこの仕組みを作ったときは大変でした。でも、いったんできてしまえば、あとはそれに基づいてコストを自動的に計算するだけですし、正確なコスト削減効果が算出できれば、さらに他の分野への適用も進めやすくなりますから、さらに大きなコスト削減効果が生まれてきます。

 加えて、先ほども申し上げた通り、デジタルデバイド解消のための取り組みも絶対に欠かせません。

 現在渋谷区内の公立小学校では、1年生の段階からデジタルデバイスを使った教育を取り入れていて、日本の将来を担うデジタル人材の早期育成に取り組んでいます。その一方で、高齢者の方々がデジタル化の流れに決して取り残されないよう、しっかりケアしていくことも大事です。

沢渡氏: 多くの高齢者の方々は、かつてPCを使いこなせなかったためにデジタル化の波に取り残された経験があるため、「デジタルは若い人でないと使いこなせない」「自分たちはどうせついていけない」と勝手に思い込んでいるふしがあります。

 でも、スマートフォンのUIならPCとは違って直観的に使いこなせますし、文字も大きくできますから、サポートさえしっかりしていれば高齢者の方々でも十分に使いこなせますよね。

澤田氏: ここまでやって初めて、区民の方々から信頼を得られるようになり、結果として生活関連データも積極的に提供していただけるようになるんですよ。

 一見、遠回りのようにも見えますが、これらのプロセスの順番を愚直なまでに守り通すことが大事なのです。マイナンバーをはじめとする国の施策は、こうしたプロセスを一切省いて、一足飛びにデジタルを実現しようとしたから失敗したわけです。

すべての人を無理に変えようとするのは「無駄な努力」

沢渡氏: 先ほど紹介していただいた「子細なコスト削減効果の算出」の取り組みは、多くの企業や組織がやろうとしているにもかかわらず、実際にはなかなかうまくいかずに苦労しています。渋谷区が具体的にどのような項目を設けてコストを計算しているのか、一般に公開していただけるととても大きなインパクトがあると思います。

澤田氏: 現在、もっと分かりやすく数値を示せる仕組みを作っているところなので、それが完成した暁にはダッシュボードなどを通じて一般公開できると思います。

沢渡氏: それはぜひ、期待したいですね! というのも、日本企業は前例がないと、なかなか新たなチャレンジに踏み出せないところがありますよね。ぜひ、渋谷区に前例を作っていただきたいですね。

澤田氏: 実は私も、初めてこの施策を提案したときには、スタッフから「前例がありません」と拒絶されました。でも「それなら、われわれが前例になればいいではないか!」「誰もやったことがない仕事をやった方がかっこいいじゃないか!」と主張して、何とか理解を得ることができました。

 こうして行政の経営コンディションの可視化と共有を行うとともに、地域が抱える課題を明確化するアジェンダセッティングにも力を入れてきました。

 行政だけでできることはたかがしれていますが、地域課題の情報を広く公開することで、民間の方々からさまざまな知恵が生まれる可能性が出てきます。渋谷区には大企業からスタートアップ企業までさまざまな企業が立地していますし、大学も9校ありますから、多様な民間リソースの中から素晴らしいソリューションが生まれてくるかもしれません。

沢渡氏: ちなみに私は、これまで全国のさまざまな自治体の業務改革の取り組みを取材してきたのですが、どの自治体にも共通して見られる課題に「中間管理職の意識改革」があります。渋谷区ではこの課題に対して、どのように取り組まれていますか?

澤田氏: 確かに、中間管理職の腰が最も重いですね。

 ここはデジタルとは対極のやり方なのですが、まずは「とにかく一緒に飲みに行って人間関係を作る」ところから始めます。

 私は「民間からやってきたよそ者」ですから、そうやって自ら積極的に人間関係を築いていかないと、なかなか職員の皆さんの理解を得られません。逆に「よそ者だからこそできること」がありますし、周囲も私に対して「中の人間にはなかなかできないこと」を率先して進めてくれることを期待していると思います。

 よく、変革を起こすには「よそ者」「若者」「バカ者」が必要だと言われますが、渋谷区は区長が「若者」で、私が「よそ者」で、街には「いい意味で尖ったバカ者」がたくさんいます。

 例えば、スタートアップ企業の若い方々の斬新な発想には、いつも勉強させてもらっています。渋谷区は地域人材にとても恵まれていますから、職員にも常々「外に出て民間とどんどん交流した方がいい」と薦めています。

沢渡氏: 私も常々、これからは旧来の「統制型」「ピラミッド型」組織の時代から「オープン型」「コラボレーション型」組織の時代へ変わっていくと話しています。

 企業や組織のトップが答を持っていて、下はただそれに従って商品を作って売っていればよかった時代から、どんどん外の情報に触れて、対話型人材同士のフラットなコミュニケーションを通じて新たな価値を生み出していくやり方が今後は主流になっていくのではないかと考えています。

澤田氏: その際に大事なことは、「全員を変えようとしないこと」ですね。

 「パレートの法則」や「ロジャーズのイノベーション普及理論」にもありますが、組織の中の上位16〜20%ほどの人材が変革に共感してくれて「変わろう!」という気になってくれれば、あとは彼らが組織内の変革をリードしていってくれます。逆に、それ以外の人間を一気に変えようとしても無駄な努力で終わります。

沢渡氏: まさに「2:6:2」の法則ですね。そこで大事なのは、トップの2のモチベーション、ひいてはイノベーションを阻害しないことと、それによって中間層の6をうまく変革に巻き込むことです。トップの2をリーダーに据えた上で、そのリーダーが「組織の中でいかにファンを作れるか」が変革の成否を大きく左右します。

「昭和の古き良き役所」への回帰を目指す?!

沢渡氏: 企業がIT化をなかなか進められないときの言い訳としてよく聞くのが、「単年度でIT予算を組んで、そこに入れないものはスピーディーな改革ができない」というものです。ちなみに渋谷区では、どのようにIT予算を組んでいるのでしょうか。

澤田氏: 私たちは東京都方式の公会計制度に基づいて、IT投資の収支を常に5年単位で見ています。システム導入のプロジェクトであれば、初期投資コストは5年間で減価償却して、その間に掛かった運用コストも合算した上で5年単位で導入効果を評価します。

 財政戦略も5年、10年のロングレンジで見ていて、既に2029年までの戦略を立てていますが、今後はコロナ禍の影響で税収がどんどん減っていき、再来年度に底を迎えると予想しています。

 しかし、だからといって、住民サービスの質を落としたり、新サービスの投入を遅らせるわけにはいきません。そこで現在、渋谷区が保有している区有資産を有効活用して、税外収益を生み出すための方法を多角的に検討しています。

 既に、宮下公園は定期借地権で年間約6億円の収益を上げていますし、2019年に建て替えた新庁舎も、70年の定期借地権を設定することで区の建築費負担はゼロで整備できました。行政がこうしたアセットマネジメントを積極的に進めるようにしています。

沢渡氏: いわゆる「稼ぐ行政」というのは、私は極めて健全な在り方だと思っています。

澤田氏: それによって、区民の皆さんの税負担を軽減できるわけですからね。渋谷区は全国にある地方自治体の中で、唯一予算の中で区民税が占める割合が5割を超えています。従って、いかに区民の方々の税負担を軽減するかが、私たちに課せられた大きな仕事の1つなのです。

 それに渋谷区は幸い、地価が高い都心に位置していますから、区有資産から大きな利益を上げることができます。これは地方の自治体にはない、渋谷区ならではのアドバンテージだと思います。

 本当は「小さな行政」が「大きなサービス」を生み出せるようになればいいのですが、行政組織をスリム化するには、少しずつ人員を調整していく必要があり、とても時間がかかります。そこで私たちが現在、標榜しているのが、「昭和の時代の古き良き役所への回帰」です。

沢渡氏: 昭和への回帰ですか? これまでお聞きしてきた先進的な取り組みのお話とは、まったく真逆の方向性のようにも聞こえますが……。

澤田氏: 昭和の時代の役所は、職員がどんどん街に出ていって、町会などに頻繁に顔を出して「地域の困りごとはありませんか?」「何かお手伝いできることはありませんか?」ときめ細かく地域の課題を拾い集めていました。

 でも現在、役所の業務はどんどん高度化しており、職員は増え続ける作業に忙殺されて街に出ていく余裕がなくなっています。そこで機械で代替できる仕事をどんどん機械に任せることで、人間は空いた時間を使って街に出ていって地域の声に耳を傾けられるようになります。

沢渡氏: 私は企業の管理部門やバックオフィス部門の方々にも、まったく同じことを提唱しています。細かな定型作業は全部機械に任せて、浮いた時間を使ってどんどんフィールドに出る。フィールドとは、企業の管理部門やバックオフィス部門であれば事業の現場ですし、行政職員であれば地域社会や他の都市です。

 企業のバックオフィスの人たちも、行政職員も「フィールドの課題解決者」すなわち、課題解決のファシリテーターであるべきだと思うのです。

 そうしないと今後、企業のバックオフィス部門の方々の存在価値は低下していく一方です。やはりこれからは民間も行政も、人間の価値は「フィールドに出ていく」ことで生まれるのではないでしょうか。

基幹システム刷新を1年半で終えるためのプロジェクト管理術

沢渡氏: ちなみに、システム導入のプロジェクトはどのような体制で進めているのですか?

澤田氏: ちょうど今、業務基幹システムの刷新プロジェクトを進めているところです。通常の公共案件なら3〜5年かかるところを、私たちは1年半で済ませようとしています(注:2020年12月完了済)。

沢渡氏: すごいスピード感ですね!

澤田氏: システム導入プロジェクトにおいて最も大切なのは、何よりもPM(プロジェクトマネジャー)のスキルと資質だと考えています。

 ちなみにこのプロジェクトではまず、渋谷区側で職員のPMを置いています。PMの育成には力を入れていて、現在7人の職員がPMP(Project Management Professional)の資格を取得しています。これらのPMを中心に「PMO(Project Management Office)」を組織し、さらにその上に、部長級で構成される「ステアリングコミッティ」を置いています。面倒な調整事はすべてここで行うようにすることで、PMはプロジェクトの業務に専念できるようになります。

 さらにその上位には、CEOやCIO、ディレクタークラスで構成される「プロジェクトオーナーグループ」を設けていて、ハイレベルな意思決定や調整を迅速に行えるようにしています。私もここに参画していて、場合によってはSIerのディレクタークラスと直接、交渉に当たることもあります。

 PMはSIer側からも出してもらっていて、独自にSIer側のPMOも組織してもらっています。ちなみにSIer側のPMは、私が全員、直接面談して、コミュニケーションがスムーズに運ばない場合は途中で交代してもらうこともあります。

 さらには、プロジェクトマネジメントに特化したコンサルタントにも入ってもらい、渋谷区側のPMOとSIer側のPMOの双方に対して進ちょくのチェックやアドバイスなどを行ってもらっています。

沢渡氏: かなり大掛かりな体制を組んでいるんですね。

澤田氏: 実際、コンサルティングファームにもかなりのお金を払っていますが、通常3〜5年かかるプロジェクトを1年半で終えるための投資だと思えば安いものです。

 実際の作業の進め方も徹底的に効率化していて、紙のプロセスや対面の会議はほとんど廃止して、すべてをオンラインで行うようにしています。おかげで、プロジェクトの途中でコロナ禍に見舞われましたが、進ちょくの遅れは一切発生していません。

 SIerが提示する見積りにも私が直接、細かく目を通して、リスクバッファ分のコストをカットしてもらっています。その代わり、プロジェクトを早くスムーズに終えられるようこちらも最大限協力するので、「こんなプロジェクトはとっとと終わらせて、もっと儲かる次のプロジェクトに早く行ってください!」と言っています(笑)。

 開発が長引く原因となる「パッケージのカスタマイズ開発」も一切行わず、職員にはパッケージの標準機能をそのまま使ってもらいます。そのためにはもちろん、職員の意識改革が必要ですから、そのための取り組みもこちら側がきちんと責任を持って行います。

沢渡氏: これだけやれば、SIer側の目線もきっと上がるでしょうね。

澤田氏: そうですね。発注する側がここまでやれば、SIer側もごまかしが効かなくなりますからね。

 それに、プロジェクトがうまくいかない原因のほとんどは「人災」です。会社が悪いのではなく、人に問題がある。ですから、コロナ禍の前にはSIerのPMやディレクターとも飲みに行って、親密な関係性を築いています。

 やれ「デジタルだ」「DXだ」といっても、結局のところ実行するのは人なんですよ。プロジェクトを成功させるには、人のチョイスを間違えないことと、目指す姿を共有し、そこからブレずに愚直なまでにやり続けることが重要だと思いますね。

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吉村哲樹記事一覧

早稲田大学政治経済学部卒業後、メーカー系システムインテグレーターにてソフトウェア開発に従事。その後、外資系ソフトウェアベンダーでコンサルタント、IT系Webメディアで編集者を務めた後、現在はフリーライターとして活動中。

取材・企画

後藤祥子記事一覧

ITmediaエンタープライズの担当編集長を経て独立。現在はエンタープライズITの変革者に伴走するメディア「Darsana」の編集長として、変革者へのインタビュー、イベント企画、コミュニティ運営を手掛けている。ITとビジネスをつなぐ役割を担っているCIO、IT部門長へのインタビュー多数。モットーは、「変化の時代に正しい選択をするのに役立つ情報を発信すること」

クレジット

取材:佐渡あまね 写真:永山昌克